テアトロ・オリンピコ

アンドレア・パッラーディオの設計した劇場

現存する最古の屋内劇場。その頃ルネッサンス時代の劇場は、宮殿の中庭などに仮設されたものであった。

1555年に、文化的な街にふさわしいアカデミー(学術団体)を、それまでは散らばっていた形式を1つにまとめようと、街の知識人21人(その中にパッラーディオも入っていた)が発案、有力者たちが寄付をし、オリンピア・アカデミー(文学、歴史、哲学、科学、技術、芸術などを学ぶ場所)を設立。その中でも活動的であった演劇(古典喜劇)部門のための劇場を作る案が浮上し、パッラーディオに設計を依頼。
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この劇場は、紀元前の建築家ウィトルウィウスが建築十書に記述した古代ローマ劇場をベースに、またその頃近くに存在していた古代ローマ劇場のベルガ劇場を実測・研究することによって、設計された。1580年に着工するも、その年にパッラーディオが死去。息子のシッラがパッラーディオのデザイン・注釈を引き継ぎ、1584年に階段状観客席とそれを囲む装飾とプロセニアム・アーチのみを完成させる。しかしアカデミーが本当に必要としていた、パースペクティブを持つ舞台装置をパッラーディオが設計していなかったために、ヴィチェンツァの若き建築家スカモッツィがその意図をくみ設計し完成させた。ギリシャの都市テーバイにある7つの道を模していると言うその舞台装置は、一時的な使用として木製・漆喰で仕上げられたものの、これまで取り壊されたことはなく、火事や爆撃などの危険も想定されながらも奇跡的に現在にまでそのオリジナルが残っている。照明システムも、スカモッツィが設計した。
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現在の研究では、パッラーディオは当時、パースペクティブな装置は中央の通りのみ、脇の2本の通りは絵画による舞台背景と想定していたのでは、と考えられている。

最初の公演は、1585年のカーニバルの時期。テーバイが舞台となる「オイディプス王」であった。