バッサーノ・デル・グラッパ

ヴィチェンツァ県のビチェンツァ市に次ぐ大きな都市。

以下は、JITRA(サイトJapanItalyTRAvelより抜粋)

街について

バッサーノ・デル・グラッパは人口4万人の非常に古い歴史をもつ町です。バッサーノという名前の謂れは、ラテン語Fundus Bassianusという「地主Bassioの農地」という意味。ベネト・アルプスの麓、モンテ・グラッパ Monte Grappa とアジアーゴ Asiago、セッテ・コムーニ Sette Comuni の高原の間にあり、街の中をブレンタ川 Brenta が横切っています。この地形は温暖な気候をもたらし、ヨーロッパでオリーブが果実をつける最北端の町となっています。町の歴史は998年に始まり、エッツェリーニ家 Ezzelini に支配された中世を経て、ヴィチェンツァ支配下におかれ、パドヴァ、ヴェローナの手に渡り、1404年から1796年までヴェネチア共和国の下で文化、芸術、建築などにその影響を大きく受けました。繊維産業(毛織物、絹織物、皮製品)や金細工なども盛んでした。ヴェネチアの貴族や裕福な商人の別荘となった屋敷の美しい様式にその影響がみられます。現在でもバッサーノは自動車で1時間程度のヴェネチアと強く結び付き、ある種の親近感を抱いているのです。バッサーノはその後にナポレオンに征服され、オーストリアに譲渡されました。イタリア統一後から世界大戦までバッサーノでは陶器などの産業と北ヨーロッパとの商業で発展しました。第1次大戦の終わりごろにはバッサーノとモンテ・グラッパは戦場となり、第2次大戦後は反ファシズムのパルチザンの功績を称え、バッサーノの町に金メダルが送られました。

文化・芸術

文化面では市立博物館 Museo civico を中心として、研究活動や展示などをはじめとする活発な活動が繰り広げられています。市立博物館には考古学セクション、アントニオ・カノーヴァ Antonio Canova の貴重な設計図を保存したセクション、バッサーノが誇る1500年代の画家ヤコポ・バッサーノJacopo Bassano の代表作品も納められています。また、町の陶器の歴史を記録する大切な陶器博物館 Museo della ceramica もあります。町のシンボルであるポンテ・ヴェッキオ Ponte Vecchio はブレンタ川にかかる屋根のついた美しい木の橋で、”アルプス山岳兵の橋”とも呼ばれています。度重なる川の氾濫や戦争で何度も破壊されましたが、その度にアンドレア・パッラーディオ Andrea Palladio の設計(1569)に忠実に再建されました。

町の見所とイベント

カステッロ・エッツェリーニ Castello Ezzelini を中心とする歴史的中心地区には広場、教会や塔、記念物や芸術作品などの見所もたくさんあります。さらに、市立陶器博物館、ブレンタ川にかかるポンテ・ヴェッキオは言うまでもないでしょう。近くのアーゾロ Asolo、カステルフランコ Castelfranco、チッタデッラ Cittadella、マロスティカ Marostica やポッサーニョ Possagno はベネトの平野と丘陵地帯が出会う素晴らしい自然環境にあります。

毎年7月と8月には屋外でオペラ・エスターテ・フェスティバル・ベネト Opera Estate Festical Veneto が開かれ、世界各地のダンス、芝居、コンサート、ジャズ、オペラなど多彩なプログラムに惹かれて多くのファンがやって来ます。10月から4月は各種の演劇、コンサートが開かれます。12月はガリバルディ広場で伝統的なクリスマス・マーケット。子供はメリーゴーランドで楽しみ、大きなクリスマスツリーが1年を締めくくります。

食べ物やショッピング

バッサーノの有名な白いアスパラガスはその独特の栽培方法で、デリケートな風味を持ち、4月~5月の料理に登場します。また、バッサーノには、DOCワインに加えて、古くから蒸留酒製造の伝統があります。1601年にはこの町に蒸留酒の同業組合が設立されています。バッサーノのグラッパはその伝統と品質の高さで、世界中に町の名を広めました。現在ポンテ・ヴェッキオ周辺にはグラッパの店が集中しており、試飲や買い物ができるだけでなく、生産工程に興味がある人はグラッパ博物館 Museo della Grappa の見学もできます。地元の郷土料理を出すレストランやトラットリアは市内にも郊外にもたくさんあります。グラッパ以外にも小さな工房で伝統の陶器、貴金属、鉄細工、家具、テキスタイル印刷や版画などの手工芸品を販売しています。